「やませ」と船

今日の青森市はやませ(北東寄りの風)で気温が下がり寒く感じます。歴史館から見える東岳や八甲田の山々はすっかり白い霧で覆われています。

ところで、江戸時代の紀行家・菅江真澄の「楚堵賀浜風(そとがはまかぜ)」(『菅江真澄全集 第1巻』未来社 一九七一年)を読んでいたら、ヤマセにかかわることが書いてありました。天明5年(1785)8月18日、青森湊で松前までの航海法を教えられる場面です。

津軽青森から船で松前へ渡るには、真帆(追風で帆走すること)を用いない。西ひかた(南西の風)、くだりという風(南東の風)で出帆し、さらに、山背という風(北東の風)を待って、二日ほど天候の具合を見ながら龍飛、中の潮、白神を越えていく。三厩や宇鉄(ともに東津軽郡外ヶ浜町)の浦からは、みな山背が吹くのを待って出帆する。(石山による意訳、『新青森市史 通史編第2巻 近世』青森市 2012年)

冷夏、凶作や冷害を引き起こすといわれるやませ。でも当時、海上交通の難所として知られる津軽海峡を渡るのには、このやませをうまく利用していたんですね~

 

 

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