企画展「藍をまとう-美しさと生活の知恵ー」の開催期間中(~令和5年3月12日まで)、ミュージアムショップにて、青森県指定伝統工芸士の作品を販売しています。
今回の企画展のテーマに合わせて、藍染め布や藍染め糸を使った作品を中心にご用意していますので、是非この機会にどうぞ。ミュージアムショップのみのご利用は入館料無料です!
こぎん刺し:工藤夕子氏(三つ豆)
津軽裂織:村上あさ子氏(テキスタイルスタジオ村上)
南部菱刺し:北向春枝氏
今回展示している着物の中で、最も新しい時代の着物が「つづれ刺し着物」です。主に大正時代から昭和初期にかけて作られ、着られました。
明治中期以降に青森県に船や貨車で木綿布が大量に入るようになり、農民もだんだんと木綿布を入手しやすくなると、麻織物に刺し子を施す「こぎん刺し着物」や「菱刺し着物」は姿を消し、肌なじみが良く温かい木綿布の着物にとって代わります。木綿布をさらに丈夫さと保温性を高める為に2枚重ねて糸で刺し綴ったのが「つづれ刺し着物」です。
津軽地方の弘前市近郊の農村では、絞りの藍染め木綿布に、納戸絣(なんどかすり)などの薄い木綿布を裏地として重ねて糸で刺し綴った「つづれ刺し着物(絞り着物)」が登場しました。当時、町行きの晴れ着として男女共に着用され、農村地帯の人びとの羨望を集めたといいます。絞りの蝶々や花の模様は現在の私たちが見ても美しく華やかです。
白い刺し糸で刺した着物は、糸目がはっきりと出ます。一段目の針目と2段目の針目が互い違いになるように刺され、布が引きつらないように工夫されている技が良くわかります。揃った刺し目を見ていると、刺し手の息使いまでが聞こえてきそうです。(※袖と衿に使われている「弘前木綿」は弘前で織られた木綿です。太い綿糸で織られ、厚みがありしっかりとした布です。幕末に弘前藩の殖産興業の策として起こり、明治期には旧弘前藩士を救うための士族授産産業でした。「弘前手織」とも呼ばれましたが、大正期に入ると動力機でも織られました。)
裂織(さきおり)は、細く裂いた木綿布を緯糸(よこいと)として織る織物です。現在、裂織と聞くと、南部地方のコタツがけに代表される「南部裂織」を思い浮かべる方が多いと思いますが、江戸時代~昭和初期まで、津軽半島や下北半島の沿岸部では、漁師の仕事着「サグリ」として裂織の着物が使われていました。生地が厚く風や水に強く保温性に優れているためです。しかし大正時代にビニールの雨合羽が出回るようになってだんだん作られなくなりました。
木綿が育たない青森県では、江戸時代に北前船で入ってくるようになった木綿布や糸は大変貴重なものでした。農漁民が購入できるのは古物でしたが、裂織に使われた木綿はそれより状態の悪い、上方でどうにも利用されなかったほこりや汚れの付いた切れ切れの半端布でした。これをきれいに洗い、和ばさみで一寸(3㎜)に細かくはさみ、緯糸(よこいと)にします。貴重な木綿布をいかに有効に活用するかという、厳しい環境の中から生まれた生活の知恵と言えます。
一枚の木綿布さえも手に入れることができなかった人々が半端布を使って、まるで反物から着物を作ったように見える技を駆使しています。また、織った布が一枚の藍色の布のようにできていれば「織り上手」と言われたそうです。家族を思い、丹精込めて織られたサグリは「末代もの」と言われ、次の世代へ引き継がれて大切に着られたそうです。