「こぎん」のこと

歴史館にも常設展示されている津軽こぎん刺し着物。ところで、そもそも「こぎん」とはどういう意味なのでしょうか…日本民俗学の創始者である柳田国男(1875-1962)は次のようにいっています。

キヌはもと着物のことで、それの小さいのだからコギヌだ。今でも働く時にしか着ない麻の短い上衣を、コギノ・コイノ・コギンという処は、東北から九州の山の中まである。(『木綿以前の事』昭和51年)

さらに柳田は、そのような各地のコギンの中でも、津軽のコギンは殊に精巧な美しいものが多かった。忙しい家の嫁や娘はコギン1枚に10年もかかったというのを自慢にしていたなどと、津軽こぎん刺しについての貴重な記録を残していますよ~

船大工のこと

船を造る大工を「船大工」といいます。いわば造船のスペシャリストです。もともと船大工は江戸時代の職人のひとつで、船匠とか船番匠ともいいました。

そもそも「大工」は、古代~中世にかけて手工業技術分野の上級者を指していましたが、戦国時代以降は、木造建築技術者だけを大工と呼ぶようになったといわれています。やがて寺社造営の宮大工、住宅建設の家大工、船の船大工など、需要に応じて細分化されていきました。

船大工の技といえば、2枚の板の間に船釘を通して1枚の板にする「接ぎ合わせ」(はぎあわせ)。和船独特のもので、この技があったからこそ千石船といった大型船の建造も可能だったのですね。歴史館には、この接ぎ合わせなどに使った船大工の道具がいろいろと展示されていますよ~

 

江戸時代の航海技術

歴史館の大展示スペースに入ってすぐ目につくのが、江戸時代に活躍した千石船の四分の1縮小模型です(^▽^)/当時の航海技術をすこしご紹介しましょう。当時は「地乗(じの)り」といって、陸岸近くを航海していました。そして出帆するときは、航海するのによい風と潮を待って出帆しました。このことを「風待ち」「潮待ち」「日和待ち」といったそうです。「待てば海路の日和あり」「潮時を待つ」などのことわざは、当時の船乗りの言葉に由来しているともいわれていますよ~

夜着のこと

歴史館の「着物の世界」展示コーナーでは、「夜着(よぎ)」に注目される方が結構いらっしゃいます。夜着は着物のかたちをした大きな掛け布団のこと。中には綿がたっぷりと入っていて、とても暖かいそうですが、実際にはどのくらい使われていたのでしょう。

明治20年頃の田舎館村の生活ぶりを記録した佐藤末吉編「昔の農村」(昭和15年)によると、当時、夜着は大抵の家庭で大人一人に一枚の用意があるくらいで、裕福な家でなければお客様の分は用意がなく、また敷布団はお客様か病人でなければ使わなかったそうです。裕福な家では畳を敷いて敷布団を、そうでない家では乾燥した藁を厚く敷き、その上に筵を敷き、さらにその上に茣蓙を敷いて寝たといいます。貧しい家では、夜着といっても襤褸(ぼろ)夜着で、それすら持たない人もいたといいます。